SSブログ

大田尭さん講演 「子どもは異物」

満場の拍手のなか、社会科の教員Sさんの紹介を受けて立ちあがった大田さんは、

「生まれは昭和十八年ではありません、一九一八年です」

とややおどけた風におっしゃって。
おや?Sさんが紹介を間違えるはずはないし・・・
年号じゃなくて西暦で言うということなのかな?
なんて、最初からわたしの耳と頭はフル回転、大田さんの飛ばす電波を出来る限り受信するぞ!
と意気込んでいました。

そこへ

「わたしとしては、このように上から見おろされるのは非常にやりにくい」

と、またまた冗談とも本気ともつかないユーモア!で皆を笑わせる大田さん。

わはは、確かに。
この日の講演は、当初体育館で行われる予定だったのです。
ところが百日咳の流行を防ぐために休校となっている自由の森学園側の都合で、
急きょ会場を大音ホールに変更したのでした。

どうかなあ、大田さんの講演、参加者が全員入れるかしら、と
実行委員の皆さんは前日から気をもんでいたのです。
なんと言っても大田尭さんの講演です。
こんな狭い場所でだいじょうぶかしら、講演だけ聴きにみえる方もいるはず…と。

でもふたを開けてみたら、このすり鉢状の大音ホールは大正解だったのですねー。
たくさんの参加者はぎゅうぎゅう詰めでも席に収まり、
「空席を作らないで詰めてくださーい」という係からの呼び掛けもないまま
みんなが中央に置かれた木の椅子に腰かけた大田さんに神経を集中するなか
大田さんのお話ははじまったのでした。

*******************

今朝、洗面所に立ったら、
水道の水を受けるすり鉢状の中からクモの子が上に登り出ようとしていました。
自分を生きたい、生かしたいという思いに満ち満ちているんだなと思い、
タオルを差し出したら登ってきました。
もうこれでだいじょうぶだろう、朝からちいさな命のささやかな助けをしたと思い、
ふと芥川(龍之介)の『蜘蛛の糸』を思いました。

蜘蛛の糸を全部読むわけにもいかないので、さわりだけ読んでみます。
『ある日のことでございます・・・・・』

*******************

大田さんは持っていらした芥川の『蜘蛛の糸』の資料を元に
それを知っているものにも知らないものにもわかるような、飽きないような語り口で、
カンダタの話をしてくださいました。
カンダタという一人の男が、悪い事をたくさんして、地獄に落ちた。
でもお釈迦さまは、カンダタが俗世でたったひとつ良い行いをしたことを知っていた。
それは一匹の蜘蛛の命を助けたことだった。
そこでお釈迦さまは、天の蓮池から一本の糸を垂らして、カンダタに言った。
これに掴まって上ってきなさい、と。
カンダタは、有難い、これで天国へゆけるとばかりに糸にぶら下がり、
必死に糸を手繰りながら上り始めた。
ところがそれに気付いた地獄のものたちが、我も我もと糸を引き寄せて上って来る。
それを見たカンダタは、降りろ、降りろ、糸が切れてしまう!と叫ぶ。
その瞬間、蓮池から垂れ下がった糸は切れ、カンダタは糸とともに地獄へ落ちていった。

*******************

こう書いてあるんですね。
そして最後にこう書いてある。
『しかし極楽の池の蓮の花は、少しもそんなことには頓着いたしません。
極楽も昼に近くなったのでございましょう』

「頓着いたしません」
カンダタが差し出された糸を切って地獄に落ちていった。
だからダメだとも、だからこうするべきだったとも書いていない。
そんなことには少しも頓着いたしません、と芥川はただそれだけで済ませています。

それはどういうことかと考えてみますと、
「自分が生きる」、これが生き物の目的であるということなのではないか。
良いとか悪いとか、そういう道徳を超えたところに在る、厳粛な事実。
倫理や道徳でない事実。
そのなかで人間は生きているんだと。
それが、この蜘蛛の糸で芥川が書いたことではないかと思うのです。

*******************

そして大田さんは、ご自分のことに話を移されました。
1944年9月に、セレベス海で魚雷にあてられたこと。
極限状態の描写は、目の前の大田さんが何倍にも見えてくるような重くて強い体験で。
その体験における自己の存在と他者の存在について話して下さいました。
圧倒的な「時代」を生きていらした大田さんの目は、その時々で、
どんなものをどんな風に観てきたんだろうとこころの背筋が伸びました。

*******************

…今、地震が起きたら、皆わたしをほっぽってあちらの出口に殺到することでしょう。
それが事実です。
その事実がありつつも、他者や自然に依存しなければ生きられない。
この矛盾。
極限の矛盾の幅というものが生きているものすべてにある。
その幅が広いのが人間ではないかと思うのです。

人間はみな自己中心です。
それがなければ自分というものが無い。
ところが、それだけで生きられるかというとそうではない。
多くの他者と関わる、すなわち他者に依存するということ無しには生きられない。
これは圧倒的な矛盾です。

「個」というものと「共に」というもの、二つの相矛盾するもの。
その間を揺れ動いているのが人生なのではないでしょうか。
こういう矛盾の中に生きるのが人間、人生なのではないかと思うわけです。
「自己中心」と「他者依存」という二つを申しました。


石川啄木というひとの歌のなかに、

『こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂《しと》げて死なむと思ふ』

というものがあります。

「こころよく」というのは、これは紛れもなく自分自身のことです。
自分の感じる思い、それを言っているわけです。
そしてそのあとに来る「はたらく仕事あれ」。
これはまさに他者です。
世の中と関わる、仕事をするとはそういうことです。
「こころよく我にはたらく仕事あれ」とはまさに「自分自身」と「他者」との協調です。
これを啄木は歌っているわけです。

そこで「仕事」から「完全雇用」ということを考えて見る訳ですが、
完全雇用のなかにはもちろん子どもも含まれるわけです。
子どもの仕事は遊ぶこと。
学童の仕事は学ぶこと。

では今の学校はどうでしょうか。
たぶん子どもは80%が失業者。
教師は85%が失業者であると言えるのではないでしょうか。

「仕事」の定義を考えてみますと、経済学においては、
賃金を得るということを「完全雇用」の基準にしています。
すなわち、経営上では労働によって発生する賃金はコストですから、
人間の労働は商品であり、市場のなかに括られてしまうわけです。

しかしながら、人間にとっての労働は商品でもコストでもなく、
紛れもない「人格」ではないかと思うのです。

それは憲法の二十五条にあります。
すべて国民は勤労の権利を有し、義務を持つ、と。
権利と義務は、すなわち「自己中心」と「他者依存」との関係を表しているんですね。

わたしはときどき、新聞の目方を計るんです。
今朝の新聞は、700グラムでした。
そのうち400グラムが広告。
この「広告」というのは、不特定多数の人の個人的欲求に訴えるものです。
それは自己の欲望の肥大を引き出し、それによって経済が発展します。
そのことによって世界に富のある人と貧しい人が生まれます。
お金を貯めて貯めて物を買う、現代は自己の欲望を満たすという自己中心の時代だと思います。

歴史的に観ると、社会は自己中心に傾く時代と、公共に傾く時代があるように思います。
公共のなかには、戦争や動乱のようなものがありますね。
これは極端な公共の例ですが。
「自己中心」を「社会的価値」に近づけるということに意義があるような気がします。

**********************

大田さんの言葉は、一言一句無駄がなく、速記が出来たらと思う程でした。
たぶん、この観察日記に書いたものは、大田さんの講演とはかけ離れた、
別物になっていること間違いなしです。
大田さんのお目に触れないように祈るばかりですが、
とにかく続きを書いてみます。

*********************

三月に中国へ行って来ました。
子どもに関わるNPOを立ち上げるための運動をしている人たちが居て、
それを中国で成功させるためには、後ろ盾がいるということでした。
そのお役に立つのなら、と少々不安ではありましたが、行ったわけです。
飛行機に乗り、車に乗せられて、交通渋滞をくぐり抜けて会場に到着。
NPO立ち上げの委員会が行われている会場に到着しました。

そこでわたしが挨拶をしなければならないということになっていて、
わたしは挨拶の代わりに、用意して行った紙芝居をしたのです。
会場にはNPOを立ち上げようとしている人たち、その中には大学教授やら、
色々なひとがいて、小さい子どもを連れてきている人もいました。

そこでわたしは「おおきくなあれ」という紙芝居を読みました。
おおきく、おおきく、おおきくなあれ、ということばを言ってもらう。
大学教授にも一緒に声を出してもらう。
もちろん来ていた子どもたちも声を出していたのですが、
そのなかで、比較的大きい子がこう聞いて来たんです。

「質問があります。なんで大きくなれるんですか?」

これにはだれも答えられません。
どうするかなと様子を見ていたら、いっしょに見ていた小さいほうの子が、
「ぼくしってるよ」と声をあげました。
「なんでですか?」聞き返すと、その子は言ったんですね。

「一枚小さいのがあって、もう一枚大きいのがあるんだよ」と。

紙芝居という異文化のなかからその子は何かを感じ取っているわけです。
これこそが文化交流だと思いました。

*********************

子どもたちのことで外国にまで足を運ばれるその行動力と好奇心に驚きながら、
さらに紙芝居をしてお話をされ、子どもたちのまっすぐな反応に心が動く大田さん。
NPOの話も文化交流の話もとても興味深かったけれど、
わたしは大田さんというひとのパワーとしなやかさに、
どんどん引き込まれていきました。

**********************

さきほど、自由の森学園の食堂のお昼ご飯を頂きました。
食材となる野菜にはとても気を使っているということで、
無農薬、有機農法の野菜というものを育てる手間を考えると果てしないですね。
大変な手間でしょう、という話になったときに農家の方が、

野菜にしても果物にしても、作物は種の中に設計図がある。
わたしはその設計図通りの成長を助けていくだけ。

そんな心構えをおっしゃっていました。

子どもは種、そのなかには設計図があるのではないかと思います。
しかし、それはきっちりと決まったものではなく、
生命の設計図というのは実に柔らかく豊かに出来ていて、
外からの刺激や関わりによって、動く設計図であるということです。
時間によって変化を遂げる。
生命の設計図というのは時間軸によって変化するものなんですね。

中国では、根強い競争原理の状況があるなかで
いま「素質教育」ということが出てきています。
中国には中国の教育というものの観念があり、
それは一皮も二皮も剥かないと素質を伸ばす教育にはならない、
その人の持ち味を社会のためになるものにするには、
この教育の観念というものがネックになっている部分があります。

**********************

わたしはいつの間にか、大田さんの話を教員の立場で聴いていることに気が付きました。
わたし自身が、この6月からまた公立学校で仕事を始めたということもあり、
限られた、もしくは制約の多い現場でどう動くのか、動く事が出来るのかが、
常に私の課題であり、テーマでもありました。
自由のきく環境で仕事をする方向性を探りながら、一方で公教育の現場で出来ること、
それを大田さんの話から導き出したいという思いが、前のめりになっていきました。

**********************
1956年、イギリスへ在外研究に行きました。
香港シンガポールダーバンを経て、船でリバプールに到着しました。
white only というサインがあるベンチの存在にヨーロッパにおける植民地の
ある意味「はっきりとした差別」を感じました。

これがアジアになるとどうなるかと言うと、
例えば朝鮮半島における植民地政策です。
日本語を話せ、名前を変えろ、信仰を捨てろ、というものです。
これらは、先にお話をしたヨーロッパにおけるベンチのサインに比べ、
じんわりと他者を同化しようとする、じんわりとした差別です。
アジアの差別にはこのような特色があるように思います。

*******************

差別の話をされた大田さんが、子どもの話をどうつなげるのだろう。
そう思って聴いていたところ、話はしっかりと深くつながっていることを知りました
以下、続きです。

******************


親や教師は、兎角子どもを自分と同化するということをやりたがりますね。

親子と言えどもDNAの違う第三者が、子どもという存在です。
お母さんお父さんのDNAを引き継いではいるけれど、全く同形ではない。
親が同化しよう、同化しようとしている子どもは異物なんだということです。

そういう言い方をすれば、妊娠は「異物」にお腹を貸すということかもしれません。
つわりというのは、それに対する母胎の防御反応かもしれないですね。

それからよく子どもを指して、血がつながっているということを言いますが、
ここで申し上げます、血はつながっていません。
遺伝子にはある部分がつながってはいるけれど違う生命体です。
お母さんのお腹に入っている赤ちゃんを囲む羊水は、胎児が自分で作ります。
内発的であり、自発的なものです。
血液も羊水も胎児が自分で作り、産まれ出る時の姿勢を正すことも自分でやります。

**********************

「子どもは異物である」という発言は、会場の空気を変えたように思いました。
お腹を痛めた子、なんていうことばは古さもありますが、
我が子、ということばは今も存在感を持っています。
それに何の疑いも持たずに来て、自由の森学園に来て。

そこでわたしが親として思ったこと、思い始めていることと大田さんの言葉が重なりました。
子どもと自分という一括りの「枠」を壊すところから始めなければいけないのかもしれない、
それが私の疑問であり、自問自答していることでもありました。

大田さんの「子どもは異物であって親の所有物ではない」という言葉は、
多くのもやもやを、かなりの痛みを伴いながらスパッと斬ってくれるものでした。

このあと、大田さんは詩人・谷川俊太郎の出産という詩を紹介して下さいました。
以下、聞き書きですがご紹介します。

赤ん坊は歯のない口で舐める
舐めること触ることのうちに
すでに学びがひそんでいる
老人は学んで来た(過去形ですね、大田さん談笑)
そして今自分の無知に学んでいる
世界と己が世界の限りない広さ深さに学んでいる

そして大田さんの話は続きます。

********************

声明は地球に定着した時から、学びがあり学習能力があるわけです。
死ぬるとき、呼吸がとまるとき死となる。
つまり消化が止まるわけですね。
今は脳死であるとか、そういう問題があります。
人の死が、法律で決められそうになっているのはどうかと思いますが。
どちらにしても、脳は体と同じ様に代謝活動をやっている。
学びが止まったとき、精神は死ぬるということです。

そう言った脳の代謝活動に、外側から参加して行くのが教育であるわけです。
個人個人が持っている神聖でユニークな設計図を助けるのが教育です。
それは個人個人を深く信頼することから始まるといえる。
先にお話した「同化しよう」という認識は自己中心に基づいた弱さであると言えます。
子どもは異物であるということを意識すること、
そういう嫌な立場を今日やらされている私です(笑)

子ども異物なわけですから、夫婦なんて断崖絶壁ですよ(笑)
同化しようと画策するなんて以ての外です。
憲法24条に違反します。
そう言えば毎日犯罪を侵しているようなものですね(笑顔)

自分の不完全性を認める、互いの不完全性を相互に認め合うことが、
平和につながっていくと思います。

子どもは異物です。
親の私物ではないのです。

例えば障害のあるお子さんの親御さんは、世間の目にさらされています。
お母さんには「障害の子を持ったのはわたしなんだ」という思いがあるわけです。
調べてみますと、2006年の親子心中の数は11件、これはおそらく一部でしょう。
数にあがってこない事件がたくさんあるはずです。

障害の子を持ったのは私の責任だというお母さんが多い。
でもそれは違う。
「私の責任」というのは間違いです。
遺伝子はいつでも偶然なのですから。
すべての子どもたちは「偶然」の「異物」です。

自然の節理が生み出した生命は、社会が世話をする。
新しい世代を担う異物をです。

障害のある子が親に無理心中という形で殺される。
その殺された命のことは、本来ならば社会全体で背負わなければいけなかった。
障害のあるもないも、運命の産物です。
仲良く励まし合っていくのが筋なのだ、という風に思います。

一人一人の持っている設計図というのは、
ユニークで複雑でダイナミックです。
そして必然であり、偶然でもある。
教育というのは、その設計図に寄り添うこと。
そして情報を伝えること、意見を言うということです。

そしてそれが一人一人によって違っていなければ教育は成り立たない。
そういう観点からすると、教育という仕事はアートである、と言えます。

子どもが持っているひとつひとつの設計図を壊さないような教育の在り方は
ドラマであると言える気がします。

先生はそのドラマを作るプロデューサーですね。
子どもたちの出番を作り、持ち味を生かせるようにする。
それは、劇場としての学園、アーティストとしての教師の存在ですね。
それは公教育のなかではなかなか見つけにくい気がします。
私立学校の中でこそ可能なのではないかと思っています。

そのような観点からいけば、教育とは最先端の仕事だと言えます。
次へと続く仕事、共に育ち合う空間を作っていく仕事ではないでしょうか。

*****************************

大田さんのお話のあとに、短い時間で質疑応答がなされました。
いろいろな質問が出、おそらく質問したかったけれども出来なかった、
という方も数多くおられたのではないでしょうか。
その質問のなかで印象的だったのは、大田さんのある方に対する答でした。

その答えは自分で探してください。
ヒントになりそうなことはお話したと思います。

大田さんのきっぱりとした言葉に、
こころのどこかで答を求めたいという思いを突かれた気がします。
最後まで聴いているひとたちにおもねることのなかった大田さん。
この日いただいたヒントを胸のなかで転がしながら、
わたしはずっと仕事をしています。

大田さん、親と教師に向けた厳しく力強い応援をありがとうございました。


お断り:この文責は観察日記の管理人、山田未來穂にあります。
大田さんのお話は、わたし個人の主観によって書き留めたもので、
実際の言葉を書き起こしたものではありません。

コメント(1)  トラックバック(0) 

コメント 1

お名前(必須)

例えば朝鮮半島における植民地政策です。
日本語を話せ、名前を変えろ、信仰を捨てろ、というものです

この記述が実際の歴史と違っています。ご自分で調べて見て下さい。

by お名前(必須) (2019-11-23 18:34) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。