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いよいよ明日は卒業式

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6年間通った自由の森。
今年になってから、すべてが「最後」で。
最後の体育祭、最後の学園祭、最後の音楽祭、最後の学発。

中学に入ったときは、6年かー長いなあ〜と思ったのに、
終わってみればあっと言う間。
月並みですけど、ほんとうに色んなことがあって
駆け抜けた6年間でした。

途中、震災で中学の卒業式が延期になり
そのあとの3年間は原発事故の影響から子どもを守るということが
頭から離れない3年間となりました。

世話人だー
有志だー
会議だー
飲み会だー

と、毎月毎月なんだかんだと飯能に通い、
子どもを通わせたっていうよりは、
親が通った自由の森だったなあとおもいます。

ここでいろんな人に出会いました。
ていねいに生きてる同世代のひとたちに出会えたこと。
本当にしあわせでした。

保護者とか教職員とか、大人とか子どもとか。
そういう立場なんか軽々と越えてしまう出会いを
ここでたくさんもらいました。
子どもが自由の森に入って開いてくれた窓のむこうに、
今まで知らなかった世界がありました。

6年前に書き始めたこのブログ、まだ読み返してはいないんですが
たぶん最初のころは驚くことばかりでかなり興奮して書いていた気がします。
そして少しずつ自由の森を知って感じてかんがえて。
なんでだろう?とか
どうして?とか

親たちで集まれば「自森ってさあ。。」という話で盛り上がり、
子育てのこと教育のこと、日本の学校のことで盛り上がり。
自分の子のことのみならず、他の子のことで喜んだり考えたり。

みんなに育ててもらいました。
子も親も。

本当にここでもらった出会いが
私のなかに、ぽっとそこだけ明るい灯をともしてくれています。

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やっと雪が溶けた自森坂には、よもぎがちいさな葉を開いています。

いよいよ明日は卒業式!
ブログはまだまだ続きます!



卒業しました

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卒業しました!

1月くらいから、卒業できるの?課題は出したの?
聞きたい気持ちをぐっとこらえ(5回に1回くらいに減らし)
本当にハラハラどきどきしていました。

担任のSさんの、
おかーさんたち、子どもたちの不安を横取りしちゃだめだよ!
ということばをことあるごとに思い出し、
ぐっとこらえておりました。(がんばりました わたし)

そんなある日、保護者有志主催の「卒業を祝う会」の準備で学校に行き、
職員室に寄ったところ
このごろ課題もがんばってますね〜と
日本語科のNさんが声をかけてくださいました。

オペラと演劇をやったあたりから表情が変わってきたね、
自信を持って顔をあげてる感じがするよと言ってもらって
そうなのかーがんばってるのかーとちょっと胸を撫で下ろしつつ
(まだ課題出してなかったのかーと怒りもこみあげつつ)
やっぱり卒業証書をもらう瞬間を見届けるまでは心配でした。



うちの娘はまあどちらかと言うと、
授業はさぼる、課題は出さない、遅刻はする
とまあ親から見ればほんとうになにを考えているんだかの子で。
進路なんてずっと先の話、もしも卒業できなかったらどうしよう?
留年してもう一年やれるような子ではないし
もしそうなったら腹をくくるしかないよね。
卒業だけがすべてじゃないよね
生きいればなんとかなるよねと、
夫婦であーでもない、こーでもないと話しあっていたのです。

ところが今年1月の末のこと。
3年生の授業がすべて終わったあたりのこと。
かあさん、明日からもずっと学校行くから。
演劇とオペラと声楽の練習があるからお弁当よろしく。
と、言って来て。
そこからはもう怒濤の登校。
演劇、オペラ、声楽、演劇、オペラ、声楽。
まるで6年間のうっぷんを晴らすみたいに通いはじめました。
なんで今なのー
お・そ・す・ぎ・る

それでも毎日お弁当をもって出かけ
へとへとになって帰ってきて、
ご飯食べてお風呂に入って
9時半には寝てしまう生活が二ヶ月半続き
オペラの修了公演、演劇の公演、声楽の発表と終わったところで
今まではっきりと決まらないまま悩んでいた進路について
自分から話しはじめました。

実が熟して木から落ちるように、
子どもにも時というものがあるんですね。



そんな二ヶ月半を経て、いよいよ卒業の日。
卒業式はいつもの通り、体育館の真ん中に胸の高さほどある花道が作られ
それがまっすぐ舞台近くまで伸びていて。
思い思いの格好でそこを通っていく子どもたちが楽しげで。
服装が自由ということは、精神が自由であることの証明だということを
あらためて感じた瞬間でした。

主役の卒業生の席が舞台にある自由の森の卒業式。
舞台にあがった子どもたちは、みんな「これが私」と胸を張っているように見え、
偏差値やテストの点数で分断させられることなくここにいる子どもたちの
楽しそうな顔がまぶしくてまぶしくて。

堂々とそして明るく歌う子どもたちの合唱は
擦り切れた大人たちへのエールのようにも聞こえてきて涙涙でした。



本当によく通いました。
親も子も遠く飯能まで。
えっちらおっちら。

学校なんてもうなにも期待できないって
おもって辿り着いた学校だったのに
どうしてこんなに通えたのかと言えば
自由の森が学校らしくない学校だったからかもしれません。

「学校」っていうことばが持ってる「嫌な味」がしない場所で
子どもも大人もいろんな人に出会い、そのたびに立ち止まって
考えて学んだ6年間だったような気がします。

子どもが自由の森に入ったことで開いた扉のむこうに、
こんなにたくさんの出会いと学びが待っているなんて、
6年前のわたしは知りませんでした。

ていねいに生きている素敵なひとたちに
本当にたくさん出会わせていただきました。
それは教職員のみなさんだったり、保護者だったり。
生徒だったり。卒業生だったり。

とにかく子どもが生き生きと通えそうな学校だということだけで
ほっとしていたあのころの自分に、
もっといいことが待っているよと教えてあげたいような、
でもやっぱりもったいないから黙っておきたいような。
卒業して今ちょっとばかりさびしい気持ちになりながらも
ここで出会ったひとたちとのつながりが
これからも細く長く続いていくだろうというおもいが、
胸のなかに確かな灯りとなって灯っています。



そして、6年弱書いてきたこの観察日記。
すっぱりやめてしまうことも考えたのですが、
卒業生保護者としてもうすこしだけ書かせてもらおうかなとおもっています。
世の中があらぬ方向へ行ってしまわないように、
自由の森みたいな「日本の学校」らしくない学校と
たくさんの子どもたちが出会ってくれるように、
ささやかながら書けることをさがしていきたいとおもっています。

というわけで、
お時間があるときに、のぞいていただけたらうれしいです。

第27期 卒業生保護者(なりたてほやほや)山田未来穂

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