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『天声人語』で見つけた自由の森

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わたしのときにも、自由の森みたいな学校があったらなあ。
なんどこの言葉をつぶやいたことでしょう。
そして、なんどこの言葉をつぶやいてるひとに会ったことでしょう^^

ともだちが、息子さんの入った自由の森という学校をおばあちゃんに見せたくて、
学園祭にお連れしたそうなんです。おじいちゃんもね。
そしたら、そう言えば…って、
「天声人語」に自由の森学園のことが書かれていた思い出されたんだそうです。
そしてその記事をまとめた本を、先日お借りしてきて、今読んでいます。
上の写真は、そのページ(ピンボケでごめんなさい)です。

その記事のなかに、席のことが書いてあるんですね。
一年一組、入ったばかりの子どもたちが教室の席について、
ああでもない、こうでもないと話し合いをしている様子が書かれているのですが、
そこで、この天声人語を担当されていた辰濃和男さんがこう書かれているんです。

『多数決は簡単だが、あえてそれをせず、にぎやかな議論を続けた。』と。そして
『ささやかな問題ではあるが、ここにはルールをつくるルールの模索があり、
きまりを考える過程を大切にする教育がある』と。

そうなんですね、うちの娘は、寮でのミーティングがねえ・・・と言いながら、
この三月で、寮も丸二年になりました。
末っ子で、甘えん坊、わがまま放題で育った娘を育ててくれたのは寮ですねえ。
バレンタインのチョコレートも、家に帰ってきて作って、
森寮は大勢いるから、一個をちっちゃくして、みんなにあげられるようにするんだ!
なーんて、これが自分を中心に地球が回っていたひとのセリフかなあ、と。
親ばかのわたしは、感動してしまっています。

書かれたのは、1986年1月22日。
『天声人語 自然編』 辰濃和男著 朝日新聞社刊 1988年発行。

入学して二年、見学で通い始めてから、もう四年が経とうとしています。
はじめは、なにもかもが新鮮で、感激の連続だったのに、
いつの間にか、それに慣れてしまっている自分を、少し反省しています。
ここでは当たり前のことが、どんなに価値のあることで、手間のかかることなのか。
それを忘れないようにしないといけないなあ。


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