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卒業しました

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卒業しました!

1月くらいから、卒業できるの?課題は出したの?
聞きたい気持ちをぐっとこらえ(5回に1回くらいに減らし)
本当にハラハラどきどきしていました。

担任のSさんの、
おかーさんたち、子どもたちの不安を横取りしちゃだめだよ!
ということばをことあるごとに思い出し、
ぐっとこらえておりました。(がんばりました わたし)

そんなある日、保護者有志主催の「卒業を祝う会」の準備で学校に行き、
職員室に寄ったところ
このごろ課題もがんばってますね〜と
日本語科のNさんが声をかけてくださいました。

オペラと演劇をやったあたりから表情が変わってきたね、
自信を持って顔をあげてる感じがするよと言ってもらって
そうなのかーがんばってるのかーとちょっと胸を撫で下ろしつつ
(まだ課題出してなかったのかーと怒りもこみあげつつ)
やっぱり卒業証書をもらう瞬間を見届けるまでは心配でした。



うちの娘はまあどちらかと言うと、
授業はさぼる、課題は出さない、遅刻はする
とまあ親から見ればほんとうになにを考えているんだかの子で。
進路なんてずっと先の話、もしも卒業できなかったらどうしよう?
留年してもう一年やれるような子ではないし
もしそうなったら腹をくくるしかないよね。
卒業だけがすべてじゃないよね
生きいればなんとかなるよねと、
夫婦であーでもない、こーでもないと話しあっていたのです。

ところが今年1月の末のこと。
3年生の授業がすべて終わったあたりのこと。
かあさん、明日からもずっと学校行くから。
演劇とオペラと声楽の練習があるからお弁当よろしく。
と、言って来て。
そこからはもう怒濤の登校。
演劇、オペラ、声楽、演劇、オペラ、声楽。
まるで6年間のうっぷんを晴らすみたいに通いはじめました。
なんで今なのー
お・そ・す・ぎ・る

それでも毎日お弁当をもって出かけ
へとへとになって帰ってきて、
ご飯食べてお風呂に入って
9時半には寝てしまう生活が二ヶ月半続き
オペラの修了公演、演劇の公演、声楽の発表と終わったところで
今まではっきりと決まらないまま悩んでいた進路について
自分から話しはじめました。

実が熟して木から落ちるように、
子どもにも時というものがあるんですね。



そんな二ヶ月半を経て、いよいよ卒業の日。
卒業式はいつもの通り、体育館の真ん中に胸の高さほどある花道が作られ
それがまっすぐ舞台近くまで伸びていて。
思い思いの格好でそこを通っていく子どもたちが楽しげで。
服装が自由ということは、精神が自由であることの証明だということを
あらためて感じた瞬間でした。

主役の卒業生の席が舞台にある自由の森の卒業式。
舞台にあがった子どもたちは、みんな「これが私」と胸を張っているように見え、
偏差値やテストの点数で分断させられることなくここにいる子どもたちの
楽しそうな顔がまぶしくてまぶしくて。

堂々とそして明るく歌う子どもたちの合唱は
擦り切れた大人たちへのエールのようにも聞こえてきて涙涙でした。



本当によく通いました。
親も子も遠く飯能まで。
えっちらおっちら。

学校なんてもうなにも期待できないって
おもって辿り着いた学校だったのに
どうしてこんなに通えたのかと言えば
自由の森が学校らしくない学校だったからかもしれません。

「学校」っていうことばが持ってる「嫌な味」がしない場所で
子どもも大人もいろんな人に出会い、そのたびに立ち止まって
考えて学んだ6年間だったような気がします。

子どもが自由の森に入ったことで開いた扉のむこうに、
こんなにたくさんの出会いと学びが待っているなんて、
6年前のわたしは知りませんでした。

ていねいに生きている素敵なひとたちに
本当にたくさん出会わせていただきました。
それは教職員のみなさんだったり、保護者だったり。
生徒だったり。卒業生だったり。

とにかく子どもが生き生きと通えそうな学校だということだけで
ほっとしていたあのころの自分に、
もっといいことが待っているよと教えてあげたいような、
でもやっぱりもったいないから黙っておきたいような。
卒業して今ちょっとばかりさびしい気持ちになりながらも
ここで出会ったひとたちとのつながりが
これからも細く長く続いていくだろうというおもいが、
胸のなかに確かな灯りとなって灯っています。



そして、6年弱書いてきたこの観察日記。
すっぱりやめてしまうことも考えたのですが、
卒業生保護者としてもうすこしだけ書かせてもらおうかなとおもっています。
世の中があらぬ方向へ行ってしまわないように、
自由の森みたいな「日本の学校」らしくない学校と
たくさんの子どもたちが出会ってくれるように、
ささやかながら書けることをさがしていきたいとおもっています。

というわけで、
お時間があるときに、のぞいていただけたらうれしいです。

第27期 卒業生保護者(なりたてほやほや)山田未来穂

いよいよ明日は卒業式

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6年間通った自由の森。
今年になってから、すべてが「最後」で。
最後の体育祭、最後の学園祭、最後の音楽祭、最後の学発。

中学に入ったときは、6年かー長いなあ〜と思ったのに、
終わってみればあっと言う間。
月並みですけど、ほんとうに色んなことがあって
駆け抜けた6年間でした。

途中、震災で中学の卒業式が延期になり
そのあとの3年間は原発事故の影響から子どもを守るということが
頭から離れない3年間となりました。

世話人だー
有志だー
会議だー
飲み会だー

と、毎月毎月なんだかんだと飯能に通い、
子どもを通わせたっていうよりは、
親が通った自由の森だったなあとおもいます。

ここでいろんな人に出会いました。
ていねいに生きてる同世代のひとたちに出会えたこと。
本当にしあわせでした。

保護者とか教職員とか、大人とか子どもとか。
そういう立場なんか軽々と越えてしまう出会いを
ここでたくさんもらいました。
子どもが自由の森に入って開いてくれた窓のむこうに、
今まで知らなかった世界がありました。

6年前に書き始めたこのブログ、まだ読み返してはいないんですが
たぶん最初のころは驚くことばかりでかなり興奮して書いていた気がします。
そして少しずつ自由の森を知って感じてかんがえて。
なんでだろう?とか
どうして?とか

親たちで集まれば「自森ってさあ。。」という話で盛り上がり、
子育てのこと教育のこと、日本の学校のことで盛り上がり。
自分の子のことのみならず、他の子のことで喜んだり考えたり。

みんなに育ててもらいました。
子も親も。

本当にここでもらった出会いが
私のなかに、ぽっとそこだけ明るい灯をともしてくれています。

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やっと雪が溶けた自森坂には、よもぎがちいさな葉を開いています。

いよいよ明日は卒業式!
ブログはまだまだ続きます!



生徒たちによるオペラ『魔笛』

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行ってきました。
生徒たちによるオペラ『魔笛』。
毎年毎年、音楽科の教員のみなさんのご指導で、
選択講座をとっている生徒たちがするオペラの公演です。

うちの娘は、頭のなかには音楽しかないんじゃないかと思うくらい、
小学校からずっと好きで続けているのが音楽で
高校生になったとき一番楽しみにしていたのが
声楽の授業を取ること、オペラに出ることでした。

音楽科のコースがあるわけでもない普通科の高校で、
これだけ層の厚い教員のみなさんに指導してもらえることは
親からみても有り難いなあ、ぜいたくだなあとおもっていたので
二年続けて声楽の授業を取り、今年卒業する三年になって
オペラに出るということは、本人だけでなく親にとっても
ものすごく楽しみなことでした。

高3になったらオペラがあるんだよ〜と
話には聞いていたものの
はじめて観に行った今回。

中学のころから一緒に育ってきた顔見知りの生徒さんが
立派に成長され、舞台を清々しく動き回り歌っている姿、
そのほかの生徒さんたちののびのびとした演技と歌、
娘が尊敬している音楽科の教員のみなさんが、
4台のキーボードを使ってオーケストラ演奏を再現してくださっている様子、
そのなかで好きな歌をうれしそうに歌っている娘の姿、
ほんとうに「ありがたいなあ」という思いでいっぱいでした。

ですが。。。
初日の公演を観に行った昨日、
他の生徒さんはきちんと衣装に合う靴を履いて演じているのに
娘だけがまさかの裸足。

えーー!
なんでーーー!
と心で叫べどもどうすることもできず、
家に帰ってきてそのことを娘に聞いたところ
だってちょうどいい靴がなかったんだもん!と
娘は母の指摘に、お疲れお怒りお腹立ち。

ないならないって相談してくれれば良いのに!
とは言えず、
まだ開いてるお店もあるだろうから見に行こうか?と
親ばかでおせっかいで過保護丸出しのわたしに
「いい」ときっぱり。
「あしたドンキで白いタイツ買っていってそれ履くからいい」とばっさり。

あああ。
今日の公演良かったよ、とそれだけ言えばよかったなあと
後悔しはじめたそのとき
まるでドラマのように電話のベルが鳴りました。

今日娘が素足で演じていたことに気づいた、
同じく出演されている生徒さんの親御さんが
気にして電話をかけてくださったのでした。

わたしにはぶっきらぼうの娘も、
よその親御さんのご好意には
きちんとお礼を言える位には大人になっていたようで
その方から白いヒールのある靴をお借りすることとなったのでした。

二日目は雪のなか、
学校あるのかしらと言いつつ
とにかく行ってみたほうがいいとお弁当を持たせて送り出したものの
雪はどんどん降ってくるし、
天気予報では天候の悪化を言い始めていて
二日目の公演は延期かなあとおもっていたとき
娘からメールが入りました。
「オペラ2時からになったよ!」

これはもう観に来いということね!
と、親ってほんとばかですね。
雪降るなかを出かけていきました。

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おかげさまで靴を履いている娘の歌に、
初日よりゆったりと耳を傾けることができ、
靴を貸してくださった保護者のかたにもお礼が言え、
一緒に舞台にたった他の生徒さんの親御さんともあいさつを交わせて
忘れられない一日になりました。

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オペラを観終えて、外に出るとものすごい雪!
早めの最終バスに、出演した生徒たちも観客も
みんな一緒にわいわいと乗り込んで、
雪の自森坂を後にしました。

お世話になった音楽科の教員のみなさんや
いっしょにオペラの舞台に立ってくださった生徒のみなさん、
照明や舞台の大道具小道具などを担当してくださったみなさん、
そのほかたくさんのみなさんのお陰で
こうして娘は歌うたのしみを感じる場をもらうことができたのだなあと
やっぱりわたしの感想は
「ありがたい、ありがたい」の一言でした。



2013音楽祭 共鳴爆発

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早いもので、最後の音楽祭になりました。
小学校を卒業し、まだまだランドセルのほうが似合う娘とともに
自由の森に来たのは6年前のこと。

入学が決まったときの娘の喜び、親の安堵感。
そして自森坂を上りながら
あーこれから6年も通うのかー
長いなーと感じたあの日のこと。

その後、むすめは順調に爆発(!)し
別の高校に通っていた息子も自森の編入試験を受けて入学、そして卒業。
先に入った娘も、とうとう高校3年になりました。

今年に入って、最後の学園祭、最後の公開研、最後の音楽祭。。。
最後最後のオンパレードで、きれいな空を見上げるたびに、
ああもう今年で終わりかーとしんみりしそうになりましたが、
いやいや、自森はいつでも開いてる、
これからも自分なりのやり方で、
この奇跡みたいな学校を応援していけばいいんだーと
思い直し、体育館に入りました。

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体育館の入り口には、今年のテーマ「共鳴爆発」。

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実行委員会の生徒さんが手渡してくれたプログラム。

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あいかわらずの実行委員会のリーダーシップと主体性と手作り感と
それからそれから

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音楽!


自森には音楽がある。
これは6年通ったあいだで、一番変わらなかった実感でした。

娘も息子も通った公立の学校で、
子どもたちが歌を歌わなくなっていくのはなぜなのか。
その答えをいつも自由の森の音楽祭のなかに見ていました。

歌は歌うものであって、
歌わされるものではない
そんな簡単なことが、実はとってもむずかしいんですよね。
今の社会、今のこの世の中。

歌は、歌を歌わせたい人たちの手のなかにあってはいけない。
歌は歌いたい人たちの手のなかになければいけない。

簡単でとっても難しいことが
自由の森にはあるんですね。

最後の音楽祭!
とおもったけれど、
この半月後、良い知らせが届きました。

自由の森で知り合って、親しくなった友人の末のお嬢さんが、
4月から自由の森の中学1年生になることが決まったのですー
来年は、中学合唱を楽しみに行きますよ、音楽祭!





「『これから』を生きてゆくために 内部被ばくといのちのことからかんがえる」記録集できました

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震災から二年半になる秋に、記録集が完成しました。
2012年1月25日、自由の森に肥田舜太郎先生を御呼びして、
みんなで作った講演会・クロストークの記録です。

講演会から二年の間、どんな記録集にするか、
震災とは自分にとってなんだったのか。
いろいろなことを話したり確かめたりしながら作ってきました。

記録集をすぐ形にしなかったのは、
それなりの理由がありました。

ひとつ目。
肥田さんのことば、クロストークで交わされた高校生、大学生のことば
それをどう受け止め、かんがえていったらよいのかということを抜きにして
記録集の中身を決めることはできないという思い。

二つ目。
終わりのない災害、原発災害という問題を、
一回の講演会の終了をもって簡単にまとめることはできないのではないかという思い。

三つ目。
震災直後、そして講演会の後、さらに震災から二年を経たとき、
私たちが何をかんがえるようになっていったのかということを、
ていねいに文字にしていきたいという思い。

そんな思いを何度も出し合っては話し合い、
とうとう完成したのがこの記録集です。

肥田先生の講演会全文書き起こし。
高校生、大学生と肥田先生との対話の全文書き起こしと写真。
さらに講演会を聞いた中高大学生、卒業生のアンケート全文書き起こし。
そして「二年を経て」というタイトルで
当時高校生だった卒業生と、現在高校生になった在校生、そして鬼沢理事長に
それぞれ思いを綴っていただきました。

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肥田さんの講演会のスタートともいうべき「わたしたち“ひばく”なう?!」で
たくさんの人たちが被ばくについて考え語り合った自由の森の公開研で、
記録集を販売したい、という願いがかなった当日の風景。

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事務局前の棚に見本があります。
現在は購買にて販売中です。
実費(500円)でお分けしていますが、数に限りがございますので、
お早めにお買い求めいただけたらとおもいます。

最後になりましたが、この記録集を作るにあたり、
たくさんのみなさんのお力をいただきました。
この場を借りまして、実行委員会を代表し心よりお礼を申しあげます。
ありがとうございました。


小学生のための「わくわくキャンプ」

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去年まで保護者有志主催だった夏のキャンプが
今年から学校主催になったのを機に、
お手伝いしてみることにしました。
これはキャンプのはじまりの会。

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こちらは中学校長のなかのさん。
学校主催…とは言っても教職員のみなさんのほか、
実行委員会に集まったのは多くの保護者有志、
そして卒業生、在校生のお姉さん、お兄さんたち。
やりたい人がやる、という形は健在のよう。

参加した子どもたちは25名ほどなのに対して、ボランティア総勢60名。
大人ばっかりでどうなるかなとおもったのですが、
どうしてどうして、子どもたちの世話をしている、というよりは、
やっぱり大人も楽しんでいる、という正しいキャンプ。

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まずはテント。
自分たちの寝るテントをお兄さんたちに教わりながら張っている子どもたち。


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このちいさなテントは鬼沢理事長専用。
鬼沢さんはキャンプのお楽しみ・クワガタやカブトムシの担当。
子どもたちのため、というよりは虫好き少年そのままの顔で
「虫のことは俺にまかせろ!」

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見事にならんだテント。
小学生の子どもたち、眠れるかな?
と大人たちは少しだけ心配してました。

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自森坂の右斜面の森の木に、バナナと焼酎?だったかな
とにかく鬼さん特製のクワガタの餌を塗り、夜になって…懐中電灯を手に
集まってきた虫たちをみんなで見に行きました。

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みんなで火起こし。
何度もやってるうちに上手になったねー!

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おもしろ数学の授業も体験。

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食堂にはでっかい麦茶のやかんが二つ。

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二日目は水でっぽうでおおさわぎ。
中学校長のなかのさんも、本気でびしょびしょになってました。

というわけで自森のキャンプ。
はじめてお手伝いに参加しましたが、
なんというか大人も子どもも
全身で遊んだ二日間。

子どものための、というよりは
鬼沢理事長はじめ、なかの中学校長、そのほかの教職員、保護者、在校生、卒業生
みんなそれぞれにおもいきり遊びながら、そのなかに小学生もいる、
というのが自森流。
お子様ランチじゃないところが魅力です。

わたしが担当させてもらった班の子たちに聞いたら、
六年生は全員自森を受けるんだと教えてくれました。
「わくわくワークも何回も来てるよー」とのこと。
四月には、中学1年生になってるかな?
待ってるよー。



自由の森学園の夏休み

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夏休みの自由の森学園に行ってきました。
8月8、9日に自由の森で行われるキャンプの実行委員会があったので、
ひさしぶりに飯能駅南口から自由の森の学バスに乗りました。

夏休みというのに車内は満員。
それでも乗り切れないくらいの子どもたちがまだバスの外にいて、
運転手さんだけでなく、子どもたちからも
「あと3人、もう少し奥に詰めて〜」という声が続きました。

ふしぎなのはこういう時、
お前らもっと奥に詰めろ!
みたいな命令形が出ないんですよねえ、自由の森。

全員を乗せるために、あれこれ工夫してる子たち。
二人がけのシートに4人、とか。
ちょっと交通法の手前、写真を撮るのは遠慮しましたが、
限られたバスの車内の底面積との闘い!
みたいな感じで笑っちゃうくらいに工夫してました。

みんながみんなを乗せなきゃって気持ちがどこかにあるんでしょうか
発車予定時刻を10分ぐらい過ぎたころ
バスは待っていたひとたち全員を乗せて発車しました。

なんども言いますが、車内はぎゅうぎゅう。
夏休みだよね?
みんな何しに行くの?
と、聞きたい気持ち満載でした。

夏休みまでこうやってわいわい集まって来るんですねえ。
わたしの保護者としての最後の夏休み。
来週はわくわくキャンプのお手伝いに行ってきます。

小学生たち。
どんな子たちが来るのかなあ。
自由の森をめいっぱい楽しんでくれるといいなとおもっています。





デンマークに来ています 観察日記番外編

自由の森学園観察日記 番外編

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ピースボートという船で、デンマークに来ています。
昨日はデンマーク教育の象徴的な学校である、
フォルケ・ホイスコーレと呼ばれる学校を訪ねてきました。

わたしの訪ねたのは英語で授業が行われている、
IPC、International People college という学校。
ここはフォルケ・ホイスコレーレのなかでも、海外からの学生を広く受け入れている学校で、
英語レベルがそれほど高くない生徒でも授業が受けられるようにという配慮がなされています。

フォルケ・ホイスコーレは、通常デンマーク語で授業がなされているそうで、
それは自国の言語を守り、多数による力に暴挙が行われることへの異議の意味もあるとか。
以前から北欧の教育について興味があったので、この学校を訪ねる日を心待ちにしていました。

コペンハーゲンの市内からバスに乗って一時間。
バスを降りて学校の敷地内に入っておもいました。
自由の森みたいな学校だなあと。

夏に入ったばかりのコペンハーゲンは緑が美しく、
昨日はお天気がよかったこともあるのですが、緑にあふれ敷地内にゆったりと建つ校舎。
ラフな服装の先生たちに、ゆったりと自分のペースで学ぶ生徒たち。
校舎のなかには、あたたかみのある色彩のソファとテーブル。
家庭的なぬくもりのある食堂。
生徒が自由に使えるキッチン、冷蔵庫。
外出するときに自由に使える自転車と、自転車専用の部屋。
広い庭には池、芝生、ミツバチの巣箱。
豪華ではないけれど、ひとの暮らす空間としてのリラックスした雰囲気が印象的でした。

現在在籍している生徒は70名。
25カ国から集まっている学生たちは全員寮生活を送っており、
自分と違う人を知ることで自分を知り、お互いを知ることが平和に繋がるということを
わたしたちを案内し、学校についてレクチャーをして下さった校長先生がおっしゃっていました。

スタッフも様々な国籍のひとたちが集まっていて、
フランス、ウクライナ、デンマーク、南アメリカ、メキシコ、フィリピン等々
すべてがグローバルな考え方に基づいているとのこと。

授業は世界の政治、文化、環境、経済から、地域的な文化やニュースまで
多岐にわたっているそうで、週に30時間、28時間を取ることが必須。
フォルケは民衆という意味で、牧師であり詩人であり哲学者でもあるグルントヴィは
デンマーク教育の父と呼ばれているそうです。

フォルケ・ホイスコーレの始まりは、民主主義の環境を整えるという理念。
人は誰でも学びたいはず、悪いモチベーションを取り除き、
良いモチベーションの学校を造る、とこれは校長先生のことばです。

入学試験がなく、国籍不問、入学資格は18歳以上であることのみ。
デンマーク人、外国人に限らず、期間は数ヶ月。
私立学校でありながら運営費の3分の2をデンマーク政府が出し、
デンマークに100校、ヨーロッパにも同じような学校が400校あるそうです。

校長先生がお話してくださった、

対話形式で授業をすること
生徒と教師の距離が近いこと
ことばがだいじ、発言がだいじ
「あなたはどう思うか」という質問をだいじにしている
生徒は多くのことを知っている、教師が勝っているわけではないという考え方
自分自身をみつめることの大切さ
どうすれば自分の幸福が創れるのかをかんがえることが大切
人生をどう送るかということへの答えをさがす
自分とは異なるひとたちと共に暮らし学ぶためのスキルを学ぶ

この学校でだいじにしていることのお話は、
どれもこれもうなづくことばかりでした。

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校長先生はスカイブルーの麻のシャツにジーパン姿。
始終笑顔でお話をしてくださったのですが、
なんと校長先生は音楽の先生。
毎朝の集まりのときには、校長先生の伴奏で歌を歌うのだそうです。
ここでまたまた自由の森の合唱を思い浮かべました。

校長先生曰く、

歌うことはフォルケ・ホイスコーレの柱のひとつ
笑顔が出てくるからみんなが仲良くなり、一体感が生まれる
ここが自分の居場所だと感じることができる
音楽でコミュニケーションを取ることは、頭ではなく心を通っていく

提唱者のグルントヴィはたくさんの歌を書き残していて
それは「ブルーソングブック」として歌い継がれてきたのだそうです。

たくさんのお話を聞いたのですが、
もっとも心に残っているのは、
平和のイニシアチブを、ということばでした。

1844年、ドイツとの戦争があったころ、
初めてのフォルケ・ホイスコーレをドイツとの国境にできたのだそうです。
デンマークのアイデンティティについて考え、
若い人が民主主義に参加できるようにという願いがこの学校を作ったという話には
この教育を生み、育て、守ってきたひとたちの精神の高さを感じました。

ほかにも校長先生はフォルケ・ホイスコーレの委員会への立候補で決められ、
前回の選挙は260人の立候補があったとか。

デンマークとは歴史も民族性も価値観も精神性も違っている日本の教育を、
どうしていったらいいのか、ということを
自由の森学園と大きく重ねながら考えた一日でした。




そうそう、もうすぐ高校3年生は修学旅行ですね。
うちの二人目の自森生である娘も、とうとう最終学年です。

入学したときには、6年後のことなんて想像も出来なかったけれど
今はひたすら自由の森に関われたこと、そこでの出会いに感謝し、
ここをはじまりにして、教育のことを考えつづけていけたらなあとおもっています。



山田未来穂

共通テーマ:日記・雑感

自由の森には中学校がある

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自森の中学が体験できるというわくわくワークのチラシ(終了)


自由の森には中学校がある、
ということはあまり知られていないんですね。
このあいだ、中学校長のNさんが
来年は中学生が増えそうです〜と
うれしそうに話してました。

高校は多いときには6クラスにもなるのに
中学は2クラスになるか3クラスになるか
宣伝が下手な学校だから無理はないかとおもいつつ
こんなにまっとうな「中高一貫校」は他にないんじゃないかなと
音楽祭のとき横にいた高校教頭のAさん(Aは名字の頭文字)に
「Aさーん、中高一貫っていう宣伝はできないんですかーもったいないですー」
と余計なお世話をしてしまいました。

娘は中学校から入って今年で5年目
この森で採れたきのこみたいに?
すくすくのびのび育ってしまいました。
きのこはしなやかな草になり
今やりたい放題やってます。

小学校5年のときに初めて来て
夏休みの「学びの森」で陶芸の粘土をこね
かあさん、この学校に入ったらねぶたをやりたい!
と言ってた娘。

おーいねぶたはいつやるんだ〜
もうあと1年しかないぞー

でもまあ娘を見ていると、
ほんとうにやりたいことがありすぎて
時間がないような感じです。

中学三年間は授業にも出ない
学校には行っているものの
どこにいたのか何をしてたのか
とにかく教室で会うことがない
親としては怒り爆発するところを
きっといろいろ考えているんだよと
おさめてくれたのが担任だったUさん

その娘が高校に入ってから
俄然積極的になりました。
情報によると教室にもいるらしい
授業も出ているらしい
なんとノートもとっているらしい!

本人曰く
中学のときは
やりたいことを探してたんだよ
中学2年の終わりに音楽がやりたいってわかって
そこからバンドとかやって(初耳)
自森のなかでもメンバー探したけど
見つからなかったから外で探した(知らなかった)

今は外でバンドをやったり歌ったり
自森では選択授業で声楽を取ったり演劇取ったり
来年はオペラを取るらしい

5年目ももうすぐ終わりに近づいて
親としておもうこと

やりたくないことを無理矢理やらされない

っていうのは
ほんとに最強だなあということ

世間では体罰という名の暴力とか
いろいろ話題になってきていますが、
本人の意思に反して何かをやらせようとするのかしないのか
そのあたりに
大きくてたいせつな
わかれ道があるような気がしています。



2012音楽祭

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音楽祭を聴いていて
こんなことばを発作的に書き留めていました



かっこわるいが 許される
かっこわるいが そこにある
かっこわるいが かっこいいこと
ほんとうはそれがいちばん かっこいいことを
みんな知ってる学校

へたっぴがそこにある
愛されてそこにある

上手もあって
ちゃんと下手もある
かっこいいもあるけど
かっこわるいもちゃんとある

ほんとうは
上手にやるなんてことには
それほどの価値なんかなくて
下手だけれどやる
下手でもやる
ということに価値があるのかもしれない
なにかを生み出すという価値
下手とか上手とかをこえた何か

やるってこと
それじたいが カッコいい



自由の森の合唱が好きというひとが多いのは
何故なんだろうといつもおもっていました
上手じゃなきゃだめ
カッコ良くなきゃだめ
そんな脅しのことばが
この学校にはないからじゃないかとおもいました

歌っている子どもたちが
本当にたのしそうでうれしそうで
歌いたくて仕方なくて
それを見て聴いているわたしたちが
たのしくうれしくなるのは
あたりまえなのかもしれないですね

この学校がいつまでも
生徒たちの生み出す喜びを守ってやれる場であるように
親のわたしに出来ることを
かんがえていかなければと
あらためておもいました

生徒のみなさん、教員のみなさん
今年も音楽祭をありがとうございました


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