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伝えるための放射線測定ウォーク

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自森の友人たちとやっている「気になる会」。
まあ色々気になることにはことかかない自森ではありますが(笑)
「気になる会」の気にしているのはずばり放射能です。

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去年原発が爆発してすぐの3月からあれこれジタバタやってきて、
この土曜日にやったのは「伝えるための放射線測定ウォーク」。

なんとなく時間とともにいろんなことがあやふやになってきて、
けっこうだいじょうぶじゃーん
ご飯もおいしいしー
なんて安心しちゃって考えることをやめるようになったら大変(> <)

わたしたちが放射線量を測ることで、
生徒たちはもちろん教員のひとたち
いっしょに気にする人に会えるといいなあ、増えるといいなあと
そんなつもりで始めました。

この日は“気になるひとびとーず”3人でスタート。
そのうちになにやってるんですか〜と声かけてくれた高校生。

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あっちが高そう、こっちも高いんじゃないかなと
高校生どんどん前のめり。
そのうち線量計もって行かれちゃって、おーいどこ行ったー状態でした。

去年公開研の分科会で「わたしたちひばくなう?」をやってくれた子たちも卒業して
今年はどんな子たちがどんな動きをするのかなあとおもっています。

いまのところ、6/9の第一回にも結構たくさんの生徒たちが声を関心もってくれて
6/23の第二回には、たのもしい高校生が参戦。

次回は7/14(土)午後1時半ごろ
事務局前からてくてく歩き出します。
おしゃべりしながらいっしょに測ってみませんか。


6/23測定結果は「気になる会」ブログ
http://huukaen.blog.so-net.ne.jp/





やっと終わってやっと始まった

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きれいでしょう!
校庭には八重桜が満開
その下で体育の槍投げの授業をやっているむすめのクラス
担当教員のMさんは、「参観は許さない、参加は許す!」なんて
たのしいこと言ってくれて、
おかあさんたちも女子高生に戻って参加してましたー

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これは反対がわの八重桜の並木です。
子どもたちが自分の荷物をネットのところに置いてあるがわかるかなぁ。


それにしても!
授業参観、全校保護者会、クラス昼食会にクラス懇談会、
学年保護者会にクラス懇親会
ほんっとに忙しかった〜
へろへろです

中学三年間は他の世話人さんの後をくっついてるだけで何にもしなかったので
高校になったらその分少しでもがんばらんばと
いろいろやってみたらほんと大変で(泣)
なにが大変かと言うとわたしのあたまが大変なのです
あれもこれもいっぺんに考えてぼろぼろ落ちるし

高校でおつきあい下さってるみなさんにありがとうだし
中学でお世話になった世話人のみなさんに、今更ながら感謝です

鬼沢さんが全校保護者会で体育祭の話をしてて
一年で一日だけ勝ち負けのある日、って言ってたけど
きのうは自由の森の一年で一番長い日、かなあ。
いつもはゆったりと流れる自森時間も、
きのうばかりはフル操業。
おかあさんもお父さんも、教員の皆さんもお疲れさまでした。

これからのこと、心配なこともたくさんあるけど、
大変な日がやっと終わって、
やっと新学期が始まりました。


やまだみきほ


「自由の森学園」という教育運動

最新号のVoiceに高校校長鬼沢さんの入学式のことばが載っていた。
そこには日本の教育の大きな流れとそのなかに生まれた新しい流れ、
更にそのなかで生まれた「自由の森学園」の理念について、自由について書かれていた。
このようなことばで迎えられる子どもたちは幸福だと思う。

娘がこの学園に入れていただいてから、5年目の春を迎えた。
小学校を出たばかりだった娘は、将来に夢を描く高校2年生になった。
母さん、あたし生きてる価値がないから死にたいと言ったときの影はない。
娘は自由の森学園で「再生」したのだとつくづく思う。
関わってくださった教員のみなさんには感謝のことばもない。

自由の森は不思議なところだと思う。
多くの親が、我が子を自由の森に通わせている保護者であるというだけでなく、
「自由の森学園」という教育運動を支える一市民でありたいと願う、
どうしたら学園をもり立てて行かれるか、社会に広く知ってもらえるか、
誰に強制されるでもなく考え続け行動を起こしている、
そんな学園があるだろうか。

鬼沢さんがあいさつのなかで述べられている「消極自由」と「積極自由」。
これは親であり一市民である私にもまっすぐに届いてくる言葉だ。
公教育で苦しみぬいた先に見つけた出口としての自由の森学園を、
我が子の「再生」のみならず、「教育の再生」として守っていくことができるのか、
そのあたりをしっかりと考えるときではないかと思う。



自由の森との出会い

自森に初めて行ったのは、6年前。
息子が中学3年の時でした。

理屈の通らないことにはためらいもなくぶつかっていく息子に
こんな学校もあるよ、と紹介したのが東野高校と自由の森学園でした。

わたしの知り合いが東野高校に通っていたので、
東野高校はとてもなじみのある学校でした。
そしてその知り合いが、「行きたくても行けなかった」のが自由の森学園。

そんなに行きたかったの?と聞くと
それはもう行きたかったと。
だけど行かれなかったと。
どちらも埼玉の私立のなかでは、自由な校風を守っている学校でした。

広大な敷地のなかに里山があるような東野高校と、
里山を越え川越えて、山の上に立つ自由の森学園。
親のわたしに出来ることは、息子にそんな選択肢を紹介することで
決めるのは息子、と思っていましたから、結論は尊重しました。

息子が選んだのは、東野高校でも自由の森でもない、
家から電車で30分の、特進クラスもある私立高校でした。
そしてそこで2年間を過ごした息子がぼろぼろになりながら、
高校2年で編入試験を受けたのが自由の森でした。

学校説明会で、高校校長の鬼沢さんと出会いました。
鬼沢さんは入学前にも関わらず、何度も個人面談をして下さいました。
そのなかで息子は、編入の決意を固めていったように思います。

本当にあのとき自由の森に受け止めてもらっていなければ、
鬼沢さんに出会っていなければ、そう思うと怖いです。
でも出会えたから。
出会いは探すものだと、あのとき本当に思いました。

最初に行っていた高校は、ホテルと見紛う程の立派なエントランス、
きれいなトイレ、更衣室、ロッカー、最新式の設備を整えた体育館、
お揃いの上履きに、制服に、何から何までぴかぴかでした。

そしてそのどれもが無かった自由の森という学校で、
確かな志を静かに守りながら生徒たちと共にいてくれる教員の皆さんに出会えたことが、
自由の森との出会いのすべてです。

今息子は20歳。
自由の森で出会った人たちと今も繋がりながら、
料理の好きな大学生になりました。

そして高2の娘が卒業するまであと2年。
自由の森を守っていくために、私に出来ることは何かと考えています。



もうすぐ入学式


もうすぐ自由の森学園の入学式です

中学校に入る子どもたちは

まだまだ小学校のランドセルが似合いそうな

でも、そのまなざしだけは、すっくと未来を向いているような

そんな子どもたちが自森坂を登って来る風景は

見慣れたものだけれど同じ子はひとりとしていない

みんなこの世界でひとりっきりの

だいじな命です

高校に入ってくる子どもたちは

目のまえにひろがった未来に

いろいろな道があったうちの一本の道を選んで

この自由の森学園に進んで来る子どもたち

ここまで来た道のりも

過ごして来た時間も

見つめて来た風景も

どれひとつとして同じものはない

だいじなだいじな命です

少しだけ先にこの学校に入った子どもの親のわたしが

そんな子どもたちにしてあげられることが

あるのかないのか

あるならそれを

精一杯したいとおもっています

子どもたち

今ごろどうしているでしょうか

入学式に着ていく服を

履いていく靴を

持っていく思いを

ひとつひとつたしかめているでしょうか

ひとり残らずだいじにできる

人間と人間が

知り合い伝え合い学び合い

人間とはいいものだなあとおもう

命とはすばらしいものだなあとおもう

自分という人間をこころから愛せるような

自分をしっかりと根付かせることの出来るような

自由の森であってほしいと願っています






もうすぐ入学式ですね

自由の森学園に入学しました!

自由の森を卒業した息子。
この春から某大学2年生。

自由の森を謳歌している娘。
もうすぐ自由の森学園高校2年生。

時間というのは、ローラースケートでも履いてるのか
ほんとにがーがーがーーーっと走り抜けていきますね。

公立中学で反抗しまくってた息子も
公立小学校でふさぎこんでた娘も
大きくなってしまえば、もう元には戻らないのです。
ああ、あのころは可愛いかったと、親はいつでも気付くのが遅い。
ああ。

自由の森で、もうすぐその時間を始めるみなさんがいるんですね。
どうかその時間が、深くて豊かな時間になりますように。
わたしを含めた大人が、全力でその時間を支えることができますように。

ご入学をお待ちしています。
って、なんか職員みたいなコメントになっちゃったな(笑)


山田未来穂

肥田舜太郎さん講演会動画その2

肥田舜太郎さんの講演会 第二部
肥田先生と自由の森の生徒たちのクロストークの映像をお届けします。

またしてもこまぎれですが、まっすぐな質問に肥田先生がまっすぐに答えている様子は、
これからわたしたちが生きていくことの困難さと、
そこから逃げるわけにはいかないという覚悟のような、
清々しく厳しく強く明るい灯りのような
ひとつの答を明らかにしているように思えてなりません。
ぜひ、最後までご覧いただけたらと思います。


















肥田舜太郎さん講演会動画その1

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9月から準備をして来ました、肥田舜太郎さんの講演会が終わりました。

原発が爆発して、放射能が降ってきて、私たちは被ばくをしました。それは福島に住んでいるひとたちだけではない、日本中の世界中のひとたちが、被ばくをしたわけです。原子爆弾が日本に投下されて後、人類は核実験という本当に愚かな行いを何度も繰り返してきて、その延長線上に原子力発電という平和という冠をかぶせた核のシナリオがありました。

そして3月、日本でそのシナリオはある意味での結末を迎えてしまいました。もちろん、過去にもチェルノブイリ事故という大きな事故がありました。けれど、原爆を二発も落とされて、様々なデータを取られたにも関わらずそれを人間を助けるためには使わず、核兵器の進化のために使った、その被ばく国で、三度目の被ばくをわたしたちこの日本列島に住む人間は経験をしてしまった、そのことはチェルノブイリとはまたちがった意味で大きな結末だったのではないかと思っています。

4月に取るものもとりあえず私がヒロシマに向かったのは、そのあたりのことがあったからでした。そしてそこで肥田舜太郎というヒロシマの被ばく医師であり、徹底して被ばく、それも内部被ばくについて研究し多くのヒバクシャを支えて来た人に出会ったのでした。

自由の森、と言ってもわたしのわからない部分の方が多いので、間違いがあるかとは思いますが、わたしの周辺では、内部被ばくについての目に見える動きはありませんでした。わずかに周囲の友人のなかに、わたしと同じように危機感を持っているひとたちがいて、そのひとたちと繋がったのが4月、放射線量の測定や、食堂の食材への問い合わせなど、動き出したのがきっかけです。

twitterで意見交換をしていた方が、たまたま和光学園の保護者であり、和光で講演をされた肥田さんの連絡先を聞いてくれたことは、本当に幸せな偶然だったと思っています。この場をお借りして、心よりお礼を申しあげます。また、さまざまな形でこの講演会を後押ししてくださった高校校長の鬼沢さんをはじめ教員のみなさま、最初からていねいに関わってくださった保護者有志の皆様にも、心よりお礼を申しあげます。ありがとうございました。

前書きが長くなりました。肥田舜太郎先生の講演の動画をお届けします。ここにアップしているのは、第一部、肥田先生の講演です。第二部の自由の森の生徒や卒業生、大学生と肥田先生との対話形式のお話は、後日アップ予定です。そちらにはとても強いメッセージがあり、ぜひご覧いただきたいと思っています。
















1/25(水)自由の森学園 肥田舜太郎講演会☆スクールバスが出ることになりました

西武池袋線・八高線 東飯能駅西口12:30発
西武池袋線     飯能駅南口12:40発
バス代が往復で500円かかりますが、
タクシーより断然安く、路線バスより便利です。
ご利用ください。


1/25(水)肥田舜太郎講演会&肥田さん×自森高校生クロストーク「わたしたち“ひばく”なう?」

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1/25(水)自由の森学園 大音ホール 午後1時半〜4時半

第一部 肥田舜太郎講演会
「『これから』を生きてゆくために 内部ひばくといのちのことから考える」
第二部 肥田さんと自由の森高校生によるクロストーク
「わたしたち“ひばく”なう?」



肥田さんに会ったのは震災後一ヶ月半経ったヒロシマでした。
原発事故が起きて、何をどうすればよいのかわからず
とにかくヒロシマだと向かった脱原発集会で肥田さんのお話を聴きました。
そのあとヒロシマで再びお会いしたときの肥田さんは怒ってらっしゃいました。
ヒロシマのヒバクシャが福島のヒバクシャを助けないでどうする!
と。

その後、twitterで知り合った和光の保護者の方から紹介して頂き、
自由の森の子どもたちの前で、お話をして欲しいとお手紙を差し上げたのが9月。
3ヶ月の準備を経て、年明けに実行委員会として肥田さんにお目にかかりました。

「肥田先生は、なぜいつも立ってお話されるのですか」
迎えにあがった車のなかで、ずっと気になっていたことをお聴きしました。
「ぼくはねえ、命がけで話さないと伝えたいことは伝わらないと思ってるの」
肥田さんの明快な答えに、胸がつまりました。

ヒロシマ被ばく医師。
ヒバクシャの治療に当たってきた元軍医で民医連の内科医。(現顧問)
94歳という年齢が、ひとつひとつの言葉の重さにずっしりと宿って
一番弱いひとたちが救済の枠からこぼれていくことに憤りを感じ、
運動や活動のフィールドのなかでも、自己を貫いて来られた方です。

地震、津波、原発事故、放射能、そして被ばく。
満身創痍の日本を駆け回って、被ばくについて放射能について、
これまでどれだけのことが隠されて来たかについて語っている肥田さんが
やっと1/25(水)、自森に来て下さいます。

打ち合わせで肥田さんと対面した実行委員会の高校生たちは、
切実な声を周りにいる生徒や教員に広げながら、今日も準備をしています。
放射能が「気になる」親たちは、あーでもない、こーでもないと言いながら、
放射能という時限爆弾を埋め込まれたような焦りのなかで動いてきました。

どのくらいの方々が来てくださるのか、とても不安です。
この講演会にどれくらいの方が来てくださるかによって
自由の森の放射能対策が決まってくるのではないかという思いもあります。
そして放射能問題をタブーにしないように、危機感を持っている者たちで
これからのネットワークを作っていけたらと願っています。
ぜひおいでください。

「肥田舜太郎さんの話を自由の森で聴く会」
高1保護者 山田未来穂

お問い合わせ
048-443-2019
mikiho-y@fc4.so-net.ne.jp

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参加費無料、申し込み不要。
学外からの参加者歓迎、子連れ歓迎です。
自由の森の保護者のかたも、これから保護者になる方も一般の方もぜひおいでください。

大音ホールはカーペット敷きの靴を脱いで入る教室です。
椅子席ではありませんので、お好きなところに座ることができます。

講演会当日、東飯能駅と飯能駅からバスを出してくれるように、現在学校と交渉中です。
決まりしだい、このページでお知らせいたします。

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